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「ロベルトこそ、真のアーティストであった」:ロベルトスピッチーノ NO.1

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20111121日、イタリアで世界トップレベルの腕前を持つシンバル職人ロベルト“スピッツ”スピッチーノが白血病のため他界した。享年67歳であった。

生前、彼のシンバルが楽器店にて販売されることはなかった。彼の作ったシンバルは、彼が信用する数少ない“友達”の手を通じて、ドラマーたちの手に渡っていったのだ。 今回、取材を受けてくれたのは、ロベルトの晩年、Spizzichinoシンバルの唯一のリプリゼンターであったリー・ラフ氏だ。リーはロベルトが認めるOld K Zildjian通で、その長年の付き合いから、まるで兄弟のような厚い信頼を受けていた。そんなリーが、Spizzichinoシンバルを通じて、ロベルトとの思い出話を語った。普段はもの静かで、決しておしゃべりではないリーだが、ロベルトのこととなると、彼はまるで今までは眠っていたかと思わせるほど、目を輝かせて熱心に語り始めた

「ロベルトこそ、真のアーティストであった」

ロベルト・スピッチーノは1944110日、イタリアはローマに生まれる。兄弟は妹のみだ。学生時代、彼は化学を専攻していた。それが後の彼のシンバル音作りにも活かされ、彼は素材の化学反応を常に意識し研究を続けた。彼は独学でドラムを習得し、18歳にはドラムを教えるほどの腕となり、またそのときにはプロのジャズドラマーとして活動し始めていた。70年代、彼がイタリアで共演したのは、ピノ・ダニエル、エディロックジョーデイビス、ハリースウィートエディソン、デクスター・ゴードン、カウント・ベイシー・オーケストラのバック・クレイトン、そしてピエーロ・モンテナーリとアメデオ・トムマシ・トリオでもドラムを担当した。その他にも、名を挙げれば切りがないほどだ。当時のジャズミュージシャンは、例えば売れっ子のアメリカ人のプレイヤーがヨーロッパにツアーに行くとき、ほとんどの場合がバックのバンドは現地のミュージシャンを雇ったのだ。彼は、そういったミュージシャンたちがイタリアに来る際に真っ先に声がかかるプレイヤーだったのだ。(次回に続く)

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About the author

MIKI DRUM CENTER 店長 上原 貴生 高校1年生の1980年代バンドブームの時、ドラムセットに魅了されドラムをはじめる。 その後、大学進学後もオリジナルバンドを中心にFUNK MUSICに傾倒。 ドラム、音楽をきっかけに、人と知り合い、音楽について熱く語りあうことが好きで、三木楽器に入社。 2009年より、大阪梅田にドラム・打楽器専門店MIKI DRUM CENERTオープン。 現在も、千里モータウンのドラマーとしてプレイ。

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