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「Old K Zildjianの音色に惚れ込んだ」:ロベルトスピッチーノ NO.2

その当時、彼はとにかくOld K Zildjianのシンバルの音色に惚れ込んだ。
彼は毎年決まった時期にトルコまで車を飛ばし、Old Kを製造している工場を訪れ、そこで出来立てのシンバルを物色することが楽しみで、まさにそれが彼の生き甲斐でもあった。

 しかし1977年、例年通り楽しみに工場に赴いたとき、彼の愛したイスタンブルのOld K シンバル工場は閉鎖されていたのだ。ロベルトにとって、これは相当ショックな出来事であった。仕方なく諦めてイタリアへ戻るその道中の車内で、彼は自分が本当に何をしたいのかを確信したのだ。1980年、彼はイタリア製のB20 (80% スズ20%のシンバル素材)にハンマーリングをし始めた。その後の研究で、ロベルトはとてもユニークな方法でオリジナル・シンバルを製造することに成功する。

 化学的アプローチとOld Kに対する情熱にて、彼は全くの独学で、Old Kの中でもベストの中のベストのサウンドに近づける方法を編み出したのだ。そして瞬く間に、彼のシンバルが世界中のジャズドラマーたちの間で認められるようになった。そしてそこには”SPIZZ”のロゴが施された。

 1988年、ロベルトはイタリアのBespeco Internationalに所属することになった。翌年の1989年、ロベルトは中国のWuhan工場に赴き、そこで得られるシンバルの素材からシンバル作りの研究を始めた。その頃に彼が製造したプロトタイプのシンバルは、少ないながらもWuhan Spizzシリーズとして世に登場することになる。しかしこれはロベルトの知らないところで進められたことで、どれも彼の裏書き(エンドース)のないシンバルだ。
当時ロベルトはそこでの製造に関わりたくもなかったのだ。(NO.3へ続く)

NO.1「ロベルトこそ、真のアーティストであった」:ロベルトスピッチーノ

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About the author

MIKI DRUM CENTER 店長 上原 貴生 高校1年生の1980年代バンドブームの時、ドラムセットに魅了されドラムをはじめる。 その後、大学進学後もオリジナルバンドを中心にFUNK MUSICに傾倒。 ドラム、音楽をきっかけに、人と知り合い、音楽について熱く語りあうことが好きで、三木楽器に入社。 2009年より、大阪梅田にドラム・打楽器専門店MIKI DRUM CENERTオープン。 現在も、千里モータウンのドラマーとしてプレイ。

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