フリーな音楽とはなんでしょうか?
言葉の響きからして真っ先に浮かぶのはフリー・ジャズ。
既に60年近く昔に生まれた言葉ですが、コード進行やリズム、時にはメロディまで、既成の形式によるジャズを破壊する目的から一切を否定した音楽。束縛のない、がむしゃらな自由を表現したジャズという言い方もできるでしょうか。オーネット・コールマンのアルバム、そのタイトルもズバリ「フリー・ジャズ」を聴くと、一切を否定した結果何が残るかがわかります。しかし、やはり聴いて楽しむというより音そのものと向き合うことを迫られる部分もあり、「音楽なのか?」と問われると難しいところがあるのも事実。ですがオーネットの試みがなければ、ジョン・コルトレーン、ファラオ・サンダース、サン・ラなどがのちにスピリチュアル・ジャズと呼ばれる精神的にも自由である新しいジャズは生まれなかったでしょう。
また、フリー・ジャズは現代音楽からの影響も大きいです。現代音楽というとフリーというよりは、誰の真似もしない独自の理論を構築する別次元の音楽という感じがしてしまうので、特段フリーということはないのかもしれません。即興演奏という枠組みのほうがまだフリーなのかもしれません。
また、ロックに目を転じればフリーといいますか、フリーク・アウト・ミュージックを標榜したレッド・クレイオラ、フランク・ザッパがおります。Freak outとはそのまま「わけわからん」「ぶっとんだ」という意味合いを持ちます。好きなことやっちまいな!というわけです。ビートルズが「愛こそはすべて」と歌っていたころ、この2組はそれぞれのファーストアルバムでぶっとんだ音楽を垂れ流していました。特にザッパのファーストはタイトルからして「フリーク・アウト!」、ひねくれたリズム&ブルーズナンバーの間に「頭脳警察」という不穏な単語が挿入され、ラストは究極のフリーク・アウト・ミュージックで幕を閉じる、ブラック・ユーモア満載、言い方を変えれば悪質な内容でした。
さて、ここにフリーにドラムを叩く女性がおります。
フリーな演奏からフリーキーな演奏に、
フリーキーな演奏からフリーク・アウトな演奏になり、
最終的にフリーク・アウトした顔面になります。
全くエロくないM字開脚ブルマーから始まるビフォア/アフターをご堪能ください。